自分の殻から抜け出して

 最近、自分がいま何をすればいいのかがわからない。

 やってみたいことはある。でも、どれに手をつけるにしても常に心の中では漠然とした不安が漂っている。それが原因で楽しむべきものも楽しめない。一時的に湧いたモチベーションもネガティブな思考が邪魔をする。

 鬱々とした日々を送っているわけではない。ただ、なにか行動を起こそうと気張るときに、現状のダラダラとした何の意義もない生活を嫌でも好んでいる自分に気付く。こうしているうちは身を守れているからだ。正確に言えば、親に守ってもらっているということだが。

 本を読んでも、映画を見ても、これが自分にとって何の役に立つのかと考える。つまり、いまの状況を打破する何の役に立つのかと。教養書を読んだって、いまの自分にとってはただの知識の一つに過ぎず、その知識を面白いとは思うけれども、何よりも私のなかでは最重要の目標として現状打破が掲げられている以上、身に入らない。というか、もうあまり読む気もしない。

 ならさっさと働くなりすればいい、と言われるかもしれない。自分でもそう思う。だけれど、そこで先述したとおり自室から社会へ出ることへの恐れが勝り、私をベッドへ押しやっている。

 たぶん、一歩踏み込む自信を身につける必要がある。でも、どうやってもそれがなかなか難しいんだよな~

学校にも家にも居場所のない子

 9月1日は子供の自殺が多いとのことで話題になってる。私は小学生高学年時にただ漠然と行きたくないという理由で不登校になった。初期には色々と親に小言を言われ、無理矢理に連れて行かれたりとしたものだが、私は涙を浮かべながら決死の抵抗をして家に留まったものだった。

 あの時、私の母親は本を読んだり病院や地域の相談窓口等に赴いてあれこれと勉強をしたらしい。無理やり学校に連れていくようなことはなくなり、私と対話する姿勢を見せてくれていたような気がする。

 当時、私には我が家という居場所があった。学校を拒否して、家にいることができた。たとえ夏休みが終わっても、家にいることが許されていた。学校を恐れる子供にとって、9月1日というのは、居場所を奪われるまでのタイムリミットのようなものだと思う。

 個人的に、頭ごなしに自殺は悪いことだと言いたくはない。けれど、もちろん良いこととも言えない。若年層、特に未成年、子供が自ら命を捨てる程に思い詰めるということを想像すると、胸が痛む。親としての自覚を持っているならば、世間の常識とされるものを一旦頭から追い出し、子供を家に置かせてやることも一つの手であると知っていてほしい。

憂鬱な日々の思考

 この先の人生について幾度となく思案し、将来のために成すべきことを模索し、勇気を持って取り掛かろうとした。しかし怠惰なこの性格と臆病心が私を挫折に追い込み、いまはただ億劫な気持ちを抱えたまま死について考えている。自殺をしたいというよりは、恒常的に湧き出てくる不安から逃れることが一番の目的だ。自殺はあくまで手段であり、もしかしたら精神薬などが貰えるのならそれでも果たせるのかもしれない。だが病院へ赴いて自身の内側を語るなど恐ろしいことのように思える。

 社会との繋がりは大切なものだ。人間は家族以外の共同体に属していることを自覚しなければおかしくなる。考えはどんどんと悪い方向へと引きずり込まれ、自分の価値を認めることができなくなる。普通であれば他者とのコミュニケーションから得られる自身の存在価値が、いまはどこにあるのかわからない。
 私は学歴も資格も技術もろくに持ち合わせていない。世俗の価値観に染まってこれらに人間としての価値を見出そうとする私自身の考えにも辟易とするが、意識してこれを根本的に変えられるわけでもない。

 たぶん、すぐにこの希死念慮も消え失せると思う。しっかりと夜に寝て、外を出歩き、人と話すことができれば、また思考も健全化する。でも、この気持ちを文章として残しておこうと思って、これを書いた。

これまでのこと。勉強しつつ

  僕は勉強が嫌いではないほうだ。学校に行っていたときも、体育や美術なんかはてんでやる気の出るものではなかったけれど、椅子に座って黒板に向かう座学は不思議と苦にはならなかった。

 家にいると、誘惑が多い。あと、机の上が散らかっていてげんなりする。ので、集中したいときにはカフェとかファミレスに行って参考書を開いたりしている。ざわざわしてて静かな環境では無いんだけど、これがまた不思議と集中力に繋がるんだよね。イヤホンを繋げて音楽を聴きながらの勉強も楽しい。

 

 中学生の頃の僕は殆ど学校には行っていなかった。週一でカウンセラーの先生のところに通っていただけだ。僕は小学生の5,6年生辺りから中学3年生までの約5年間、不登校だったのだ。

 教養が身についていないどころの話ではなかった。常識を知らない。地理を知らない。例えば、自分が住んでいる千葉県と隣の東京都、あとは北海道と沖縄くらいしか都道府県の場所を知らない。平成以外の元号をもちろん知らないし、世界にはロンドンという国があると思っていた。

 義務教育とは偉大だ。いまになって、そう思う。あと、後悔。いじめにあっていたわけでもない。ただ単に、風邪で数日学校を休んだときに味を占めて、ちょっと仮病して、それがずるずると5年間続いたのだ。間違いなく悪いのは自分。だけど、もしあの時学校に行っていれば。部活をして、友達と遊んで、そんな青春を送っていたのなら、今とこれからの未来は随分と変わっていたような気がして、無性に悔しさを感じる。

 高校に入ってからは学校も休まず、しっかりと勉強には励んだつもりだけれど、こんどは友達と遊んだり恋愛したりするのが楽しくて、身が入らないことも多かった。結局入ったのは偏差値40代後半程度の平凡なありふれた大学。その大学も結局辞めることになるけど、それは自分で決めたことだ。

 

 流行りの人工知能にも手を出してみたくて、近頃は数学の勉強に手を付けている。中学数学からはじめ、いまは高校数学Ⅰに入ったところだ。要求されるレベルにはまだまだ届かないけれど、着実に基礎固めを進めていきたい。

 

年上のお姉さんの消失

 いいよね、年上のお姉さん。昨今の奥手な若者の男子にとっちゃ、会話とか、付き合いにおいてリードしてくれる女性というのは本当に頼りになって、話していると惚れてしまいそうになったりしたり。話題の『君の名は。』は僕も観に行ったのだけど、作品に出てくる奥寺先輩が本当に理想的なお姉さんって感じで、劇中の中ではいちばん好きになったキャラクターだった。

 そんな年上のお姉さんだけれど、彼女たちは少しずつ存在数が減っていく(二次元、三次元に関わらず)。というのも、僕らが年を食っていくからだ。

 「年上のお姉さん」の条件ってなんだろう。まあ、字面からそのまま意味を取れば、

①年上であること

②お姉さんであること

①はそのままの意味として、②の「お姉さん」ってなんだろう。年上の女性はみんなお姉さんと考えてよいものか? 条件は? ちょっと考えればすぐ答えは出る。それ即ち、美人であること。重ねて言えば、好みであることだと思う(顔立ち、性格含めてね)。だから、もうちょっと正確に言えば「年上のお姉さん」ではなくて「年上のタイプなお姉さん」ってことになるんだけど、まあそれは置いといて。

 僕はいま20歳だ。だから、もう20歳以下の女性は当てはまらない。そして、タイプな人ってのは、人それぞれ好みがあるから主観的に判断されるものだと思うけど、僕の場合、どんなに美人で可愛くてタイプな人でも30台中盤あたりからはお姉さんとは呼べないと思う。だから、僕にとって「年上のお姉さん」の定義は20~35歳くらいのタイプな女性ってことになる。

 まあ、これだけ聞くと別に少なくないように感じる。でも、昔の自分を思い返してみると、空しさを感じるなあ。

 小さい頃、周りにいた女性は皆お姉さんだった。若い10代の女の子も、あの時はちょっと大人っぽいお姉さんだった。町で見かける女の子、お店のバイトの女の子、彼女たちみんなが年上だったあの頃って、なんとも言えぬ安心感があった気がする。言葉にしづらい。

 いまの僕は20歳。来年には21歳。22歳。1年経つごとに1つ歳を取るわけだけど、そうすると、いつか「年上のお姉さん」は消えていなくなってしまう。10代のうちに「年上のお姉さん」に可愛がられるという夢は叶わなかったけれど、20代に踏み入れたいま、焦りを持って「年上のお姉さん」と色々なお付き合いをしていくように努力すべきなのだろうか。

 

  近頃は年下に母性とかお姉さん気質を求めるヲタクがいるって聞くけれど、その気持ちはすごくわかる。

耳鼻科に行ったりした話

 昨日、10日ぶりくらいに外に出た。夜の鼻づまりや、稀に起こる鼻炎の症状(鼻水が滝の如く流れる)が酷いために、耳鼻科にかかったのだ。カメラを穴に突っ込まれたり、キセノン光と呼ばれるなにやら原理のよくワカランものを首に照射されたり、薬の噴射(ネブライザーというらしい)をしたり。うーむ、色々なものがあるのだなあ。

 さて、このネブライザーが実に鼻に効くのだ。「普通の人はこんなにも快適に鼻で息をしてるのか」なんて思ったりして。これ、実は家庭用のものが販売されているらしく、1万円前後から買えるそうな。詳しくは調べてないけど、興味がある。耳鼻科で貰える薬で治ってるうちは必要なさそうだけれども。

 外に出たおかげで、だいぶ調子が良くなった。考えもまとまるし、やる気も出る。前向きに出来事を考えられる。やっぱり引きこもってるとダメね。

 

 そういえば、ブログタイトルを変更しようと思っている。「自殺」というワードを抜きたいと考えているんだ。

 開設当初の気持ちを刻んでおくのは最初の記事で充分。タイトルにこれがあると、無意識に負のイメージを受けてしまいそうだがら。

 

何人かの人たちが読者登録をしてくれた。嬉しいです。

 

 

 

 

何もやる気がせず……

 気分にかかわらずやるべきことはやるべきだ、と前回書いたものの結局無気力が続いて何も手付かず……。

 いまやるべきことは数学の勉強とネットワーク系のベンダー資格「CCNA」の勉強。なるべくコンスタントに進めていくつもりだったが、無気力な日は全く手を付けず、調子の良い日に一気に進めるという方法でなんとか調整している。

 が、ここ一週間ほど全く手付かず。親との口論になった一件からは一度も取り掛かっていない。やることといえばゲームばかり。なんだかもうダメな気がするなあ。