「死ぬ」と「生きる」

 ブログを始めてみて感じたのは、自分の気持ちや考えを文章に表すことは、心が少し落ち着き、整理されるということ。よく聞くことではあるが、実際に自分で体感してみるとなるほど、たしかにその通りだなと思う。

 それと、自分が書いたブログのアクセス数というのはやはり気になるもので、これを上げることで日々の活動のモチベーションに繋がるのであれば、と思い、ブログ村なんかにも登録をしてみた。増えればいいな。

 昨日は「私」という一人称を使ったが、なんとなく落ち着かない。「僕」の方がしっくり来そうだ。僕、僕、僕……うん。まだ(仮にも)学生という立場上、あまり「私」という言葉を使うことはない。就活が始まるまでは、他の人も殆どそうだと思う。というわけで、「僕」で進めていく。

 

 死にたい、なんて気持ちはよく湧いてくるものだが、昨日の僕はその感情がこれまでの人生の中で一番大きかった、ピークだったような気がする。高校までの間、ぼんやりと死を意識したことはあった。けれど、それも実際にどういう場所でとか、どんな方法でとか、具体的に検討したことはない。いや、無いわけではないのだが、調べていくうちに「痛そうだな」なんて考えてすぐに気持ちが落ち着いていた。でも、昨日の僕は確かに場所を考えた。方法を考えた。死ぬ前には何かするべきことはあるかと考えて、2chで自殺する前にすべきことを聞いてみたりなんかした。部屋の掃除をしてみたり、包丁を手に持ってみたりした。行動してみると、死に近づいているような気がして、少し嬉しかった。

 2chに立てたスレで、親の金を持ってどこか旅に出たりしたらどうかってレスがあって、やってみたいなと思った。僕はいままで学校をサボったり、塾へ行かずに友達の家へ親に無断で泊まりにいったりなんてことはしてきた。けれど、「親の金を盗んで遠出する」という経験は無く、それはとても魅力的な計画だなと感じた。背徳的な行動が、言葉に表せぬ快感を生み出すのは知っている。だから「明日、親の財布からお金を持って夜中に抜け出そう」なんて考えて、昨日はベッドに入って、眠りについた。けれど、今朝(昼過ぎだけど)起きたときに思ったのは「今日はやめておこう」という考えだった。

 結局のところ、自殺とか、逃避行とか、僕にとっては一過性の考えなんだと思う。少し冷静になると「現実的に考えろよ」とか「おとなしく入学に向けて勉強しろ」とか、そういう考えが浮かんでくる。

 んで、ぐるぐる考え出す。「死ぬ」と「生きる」の二つの道の岐路に戻って、二つの見えない先の方を見ようとしている。「考えるより先ず行動」という言葉を聞くが、まさにその通り。「今日は何もしなかったな」とか、「死ぬんだったら別に勉強しなくてもいいよね」なんて考えちゃったりして、色々思案に暮れてはため息吐いて、その繰り返しが延々と続くんだから、まずは考えるのではなく行動をすることが大事なんだろう。そして、その行動の中で何かを発見して、それが生きていく中での夢中になれることなら、なおさら生に希望が持てる。だから「先ず行動」なんだと思う。少し前までは、僕もこの考えを軸に勉強に励んでいたんだけどなあ。